前回の#16で、百貨店の売上を動かしているのは訪日客ではなく国内客だ、という結果が出ました。それでも「実態はどうあれ、ニュースが出れば思惑で買われるのが株では?」という反論は残ります。今回はその思惑買いを株価の側から測りました。訪日客数の発表日105回ぶんを重ねた結果は、意外なほどきれいなゼロ。そのかわり、別のものが見つかりました。
- JNTO(日本政府観光局)が訪日客数を発表した日の前後で、百貨店株5社がTOPIXよりどれだけ余計に動いたかを105回ぶん測定。どの時代・どの測り方でも、偶然と区別できる反応はゼロでした。発表前の「先回り買い」も見えません。
- ただし発表の中身(訪日客数の伸び率)には、爆買いのブーム期(2015〜2019年)だけ翌日に反応していました。伸び率が良かった月と悪かった月で、翌日の動きに+0.51ポイントの差です。
- 月単位で見ると、百貨店株と歩調が合っていたのは訪日客数(相関+0.08)よりドル円(+0.30)。「インバウンド株」というより「円安株」でした。
- 判定:★★☆☆☆(ほぼ気のせい——見出しでは動かず、中身に反応したのもブーム期だけ)
- 百貨店5社(三越伊勢丹HD 3099・高島屋8233・J.フロント リテイリング3086・松屋8237・エイチ・ツー・オー リテイリング4658)の日足終値から、日々の騰落率を平均した「百貨店指数」を作る(2013年1月〜2026年7月)
- そこからTOPIXの騰落率を引いて、市場全体の動きを除いた「百貨店株ぶんの動き」を取り出す
- JNTOの月次発表の実際の発表日144カ月ぶん(報道発表資料から日付を確定)を0日目として、前後の動きを重ねて平均する
- 期間を黎明期(2013〜14年)・ブーム期(2015〜19年)・復活期(2023〜26年)の3つに分ける。コロナ期(2020〜22年)は参考扱いで除外し、105回ぶんで判定する
- 発表の中身(訪日客数の前年同月比)との関係と、対抗馬としてのドル円との関係も測る。集計と図版は私が作成しました
「思惑買い」を、どうやって測るのか
思惑買いという言葉は便利ですが、そのままでは測れません。そこで今回は、いちばん検証しやすい形に固定しました。「訪日客数のニュースが出た日の前後で、百貨店株が買われているか」です。訪日客数のニュースの大半は、JNTOが毎月中旬すぎ(15〜24日ごろ)に出す月次発表がもとになっています。「単月として過去最多」といった見出しは、ほぼこの発表の日に出ます。つまり発表日は、思惑買いが起きるとすれば起きるはずの日なんですね。
測り方の骨組みはシンプルです。この発表日の前後で、百貨店株がふだんより買われているかを、株価データで確かめる——それだけです。何を差し引くか、偶然とどう区別するか、といった細かい手順は、それぞれの検証のところで順に説明します。
もうひとつ、今回は期間を3つに割りました。「インバウンド」という言葉が広まる前の黎明期(2013〜14年)、爆買い報道で百貨店=インバウンドの図式が定着したブーム期(2015〜19年)、コロナ後の復活期(2023〜26年)です。こう割ったのには理由があります。思惑買いは、通説がみんなに信じられて初めて成立するはずだからです。誰も百貨店をインバウンド株と思っていなかった黎明期に反応がなく、みんなが信じたブーム期に反応が出るなら、それは思惑買いの証拠になります。
検証①:発表日に、百貨店株は買われていたのか
測り方はこうです。発表日を0日目として、その前後の百貨店株の値動きを105回ぶん重ねて平均します。値動きからは、TOPIX(市場全体)の動きと、その時代のふだんの平均的な動きをあらかじめ差し引いてあります。つまり、残った数字がプラスなら「発表のまわりで、ふだんより余計に買われた」ということになります。
見る場所は2つだけです。発表前の5日間——先回り買いがあるならここがプラスになります。そして発表日から翌日——ニュースを見た買いが入るならここです。結果が図2です。
ご覧のとおり、6本の棒はすべて帯の中です。黎明期の+0.48%はいちばん大きく見えますが、この時期は1回ごとのブレも大きく、帯(まぐれでも出る範囲)はもっと広い。つまり偶然と区別がつきません。ブーム期と復活期にいたっては、むしろ小さなマイナスです。発表があってもなくても、百貨店株の動きは変わらなかった——先回り買いも、ニュースを見た買いも、データには残っていませんでした。
念のため、窓を5日後まで・1カ月後までに広げても、発表前後の1日ずつ78個にばらしても、帯を超える動きはまぐれで出る個数しかありません(数字は脚注に)。思惑買いがいちばん起きていそうなブーム期——「単月過去最多」の見出しが毎月のように出ていた時期——ですらこの結果だったのは、予想外でした。
どの時代にも見つかりませんでした。
検証②:では市場は何も見ていないのか——中身には、ブーム期だけ反応
発表というイベント自体に反応がないなら、発表の中身ではどうか。JNTOの発表には毎回、「訪日客数が前年の同じ月からどれくらい増えたか」という伸び率が含まれています。そこで各時代の発表を、この伸び率が良かった順に並べて半分に割り、伸びが良かった月のグループと悪かった月のグループとで、発表翌日の動きを比べました。中身に反応する市場なら、良かった月の翌日のほうが強く出るはずです。それが図3です。
ここで初めて、帯を超える棒が出ます。ブーム期は、伸びが良かった月の翌日が平均+0.28%、悪かった月が-0.22%で、差は+0.51ポイント。まぐれでは40回に1回ほどしか出ない、今回の検証全体を通して唯一の「帯の外」です。伸び率と翌日の動きの相関(一緒に動いた度合い)で見ても+0.368と、3つの時代でここだけ数字が立っています。一方、黎明期と復活期は差の向きこそ同じものの、帯の中=偶然と区別がつきません。
細かい点ですが、この反応が発表当日ではなく翌日に出るのも筋が通っています。JNTOの発表はおおむね16時台、つまり大引けの後です。当日の株価は発表を知りようがなく、織り込めるのは翌日から。実際、ブーム期でも当日の相関は+0.199にとどまり、偶然の範囲を出ません。翌日になって初めてはっきり出る、という時間の並びは、発表時刻とつじつまが合っています。米SOX指数と日本の半導体株で「翌日に映る」形を測った#10と同じ型ですね。
ここで、「それは思惑ではなく、単純に売上が良いから株価が上がっているだけでは?」という疑問が出ると思います。もっともな疑問なので、切り分けを書いておきます。まず、この図が測っているのは発表の翌日、たった1日の動きです。百貨店の売上の月次(日本百貨店協会)は毎月下旬の別の日に、決算はまた別の日に出ます。売上や決算の良し悪しで株価が動くなら、その動きはそれぞれの発表日のまわりや月全体に散らばるはずで、JNTOの発表翌日という1日に集中して出る差は、「訪日客数という数字が知られたこと」への反応と読むのが自然です。次に、仮に市場が「訪日客数が伸びた→売上も良いはずだ」と業績を先読みして買っているのだとしても、それは実態を見て買っているという話ですから、「実態と関係なくニュースだけで買われる」という今回の通説には、やはり当てはまりません。なお、売上や決算そのものと株価の関係は、今回は測っていません(前回#16で見たとおり、そもそも訪日客数と百貨店の売上の連動がかなり細い、という事情もあります)。
まとめると、こうなります。市場は「発表があった」ことには反応せず、「発表の中身」に反応していた。ただしそれは、みんながインバウンドに夢中だったブーム期だけ。当初の仮説——思惑買いは通説が広まって初めて成立する——は、半分だけ当たりました。通説が広まった時期にだけ反応が出る、という点は当たり。ただしその反応は「見出しだけで買う」という雑な形ではなく、「数字の良し悪しを見て翌日に動く」という、思ったより真面目な形だったわけです。
そしてそれすら、ブーム期だけの現象でした。
検証③:そもそも百貨店株を動かしていたのは何か
発表翌日の±0.5ポイントというのは、出たとしても1カ月に1日だけの話です。では月単位でならせたとき、百貨店株はインバウンドと連動しているのか。対抗馬として、#16で免税売上を押し上げていたドル円を並べました。
訪日客数の伸び率との相関は、黎明期+0.03、ブーム期+0.08、復活期-0.05。どの時代も、ほとんど関係なしです。一方ドル円は、ブーム期で+0.30。6本の棒のなかで唯一、偶然では出にくい水準でした。爆買いの主役だった中国客の買い物は円安で割安になるほど膨らみますから、向きとしても自然です。つまり百貨店株がインバウンド株らしく振る舞っていたブーム期ですら、値動きの説明としては訪日客数よりドル円のほうが上だった。#16で売上側に出た「単価×円安」の構図と、株価側もつながっています。
「過去最多」で切れなかった話
白状しておくと、当初の設計はいまとは違いました。「単月として過去最多」の見出しが出た月と出なかった月を比べれば、見出しの効果を直接測れると考えていたんです。ところが集計してみると、同じ月どうしの比較で過去最多を更新した月が、黎明期は22回中21回、ブーム期は55回中49回、復活期も28回中24回。ほぼ毎月が「過去最多」でした。比べる相手(更新しなかった月)が数えるほどしかなく、この軸は検証になりませんでした。
ただ、これは検証の失敗談であると同時に、思惑買いが見つからなかったことの説明にもなっている気がします。毎月出る「過去最多」は、ニュースとしての珍しさがありません。見出しが常態化すれば、見出しで買う理由も薄れる——発表日に反応が出なかった背景として、これは覚えておいていい点だと思います。
- ×発表日の前後105回ぶん、どの時代・どの窓でも動きは±1%未満で、偶然と区別できる反応はゼロ。
- ×発表前5日間の「先回り買い」も見つからない。1日ずつ78個にばらしても「偶然では出にくい」は4個で、まぐれで出る個数と同じ。
- △発表の中身(伸び率)には、ブーム期のみ翌日に反応(相関+0.368・伸びが良かった半分と悪かった半分の差+0.51pt)。黎明期・復活期は向きは同じでも偶然の範囲。
- 〇その反応が当日でなく翌日に出るのは、発表が大引け後(16時台)という事実と整合。市場は見出しではなく数字を見ていたと考えられる。
- ×月単位ではどの時代も訪日客数との相関は±0.1未満。ブーム期はドル円+0.30が唯一偶然では出にくい水準で、実態は「円安株」に近い。
★2とした理由を書いておきます。通説の核心は「実態と関係なく、ニュースだけで買われる」という部分ですが、そこは105回測ってゼロでした。この意味に限れば★1寄りです。それでも★1(逆効果)にしなかったのは、発表日に売られるわけでもなく、「発表日を避ける」ことに意味があるとも言えないからです。逆に★3に上げなかったのは、唯一見つかったブーム期の反応が、いま(復活期)は偶然と区別できない水準に落ちていて、読者が今日から使える形では残っていないからです。付け加えると、ブーム期に見つかった反応も、3つの時代といくつもの窓を調べたなかで出た1つですから、「ブーム期には確かにあった」と言い切るより、「あったと見られる形跡が残っている」くらいの温度で受け取るのが安全だと考えています。
この結果、実践にどう活かす?
思惑買いという言葉は、「みんなが信じれば実態がなくても上がる」という含みで使われます。ところが実測してみると、通説がいちばん信じられていたブーム期でさえ、上がっていたのは見出しが出た日ではなく、良い数字が出た翌日でした。テーマへの関心は「雑に買われる」という形ではなく、「数字への感応度が上がる」という形で株価に現れていたわけです。市場は思ったより真面目なんですよね。そしてテーマへの関心が薄れると、その感応度ごと消える。「◯◯関連株」と呼ばれる銘柄群を見るときは、関連ニュースで上がるかどうかより、そのテーマの数字にまだ市場が反応しているかを確かめるほうが、実態に近いように思います。
正直に言うと、私は「発表イベントの単体では動かなくても、先回り買いくらいは出ているだろう」と予想していました。105回重ねてどちらもゼロだったのは意外で、#16の売上に続いて、株価の側でも通説の裏が取れなかったことになります。
ただ、この結果を「インバウンドのニュースは無視していい」とは受け取っていません。今回測れたのは毎月の定例発表だけで、渡航制限のような突発ニュースは別物です。私としては、インバウンドの見出しで百貨店株が動いたように見える日は、まず為替とその日のTOPIXを確かめて、それでも説明がつかない分だけを材料の効果として考える——その順番を守るだけで、見出しに振り回されることはだいぶ減ると考えています。
まとめ
- JNTOの発表日105回の前後で百貨店株5社の対TOPIXの動きを測ると、黎明期・ブーム期・復活期のどこにも、偶然と区別できる反応はありませんでした。発表前の先回り買いもありません。
- 発表の中身(前年同月比)には、ブーム期だけ翌日に反応していました(相関+0.368、伸びが良かった半分と悪かった半分の差+0.51ポイント)。反応が翌日に出るのは、発表が大引け後という事実と整合します。
- 月単位では、訪日客数との相関はどの時代も±0.1未満。ブーム期のドル円+0.30だけが偶然では出にくい水準で、百貨店株は「インバウンド株」というより「円安株」として動いていました。
- 「単月過去最多」はほぼ毎月更新されていて(ブーム期55回中49回)、見出しとしての珍しさがなかったことも、思惑買いが見つからない背景と考えられます。
- 判定は★★☆☆☆。「ニュースだけで買われる」は観測できず、中身への反応も、いまは偶然と区別できない水準です。
「インバウンドで百貨店株が買われる」という言い方は、爆買いのころの記憶としては正しかったのかもしれません。ただ、その頃でさえ買われていたのは見出しではなく数字で、いまはその数字への反応も薄れています。売上は国内客、株価は為替——2回の検証を通すと、「インバウンド銘柄」というラベルと百貨店の実態は、売上でも株価でもかなりずれている、というのが2回の検証を通して見えた形です。
よくある質問
- 株価は百貨店5社(3099・8233・3086・8237・4658)のYahoo!ファイナンス時系列の調整後終値です。株式分割・併合は調整済み、配当は調整していません。3099についてstooqの配当調整済みデータと突き合わせ、日次騰落率の相関が0.99987であることを確認しています(差が出るのは配当落ち日のみ)。
- 百貨店指数は5社の日次騰落率の単純平均です。会社の規模で重みを付けると三越伊勢丹とJ.フロントにほぼ引きずられてしまうため、等加重にしました。そのぶん規模の小さい松屋の影響が大きめに出る点は割り引いてください。
- TOPIXとドル円はstooqの日足です。TOPIXが2026年7月15日までのため、検証全体もこの日までで区切っています。復活期の直近2回の発表は測定に必要な日数が足りず、対象から外れています。
- 発表日は、JNTOの報道発表資料(PDF)から2013年1月分〜2026年7月分の144カ月ぶんを確定させたものです。推測した日付は使っていません。うち141回が株価データの期間内で測定可能で、コロナ期36回を参考扱いとして除いた105回で判定しています。
- JNTOの月次発表はおおむね16時台で、株式市場の大引け(15時半)より後です。このため「発表への反応」は翌営業日で測るのが妥当と判断しました。発表当日の反応が有意にならないことは本文のとおりで、この時間構造とも整合します。
- 「ふだんの日の平均的な動き」の差し引きについて。黎明期の百貨店株はTOPIXに対して1日平均+0.037%勝ち続けていました(アベノミクス初期の内需株高)。これを引かないと、発表と無関係の上昇分を発表効果として数えてしまいます。各期とも同様に、その期の全営業日の平均を差し引いています。
- 図2の薄い帯(平均±2×標準誤差)と、本文の「偶然の範囲/偶然では出にくい」の判定は同じ基準で、「その差がまぐれでも出てしまう確率が5%(20回に1回)を切るかどうか」にあたります。統計の言葉ではt値による両側5%水準の検定で、今回の標本数では|t|≧2がほぼこれに対応します。図2に載せた2つの窓のほか、5日後まで(黎明期+0.42%・ブーム期-0.04%・復活期-0.62%)、1カ月後まで(+0.49%・-0.69%・+0.13%)に広げても判定は同じでした。主な値:図2の窓別の動きは全時代で|t|<1.6、ブーム期の翌日相関+0.368はt=2.88、伸び上位半分と下位半分の差+0.51ptはt=2.28(まぐれで出る確率は約2.7%=40回に1回ほど)、月次のブーム期ドル円相関+0.304はt=2.43。単日の検定は発表5日前〜20日後×3期で78個あり、うち|t|≧2は4個でした(5%水準なら偶然でも約4個出る計算)。
- コロナ期(2020〜22年)を除外したのは、入国制限で訪日客数が前年比-99%台の月が続き、発表が持つ意味そのものが変わっていたためです。参考までに測定はしており、有意な反応はありませんでした。
- 「単月として過去最多」の判定は、2003年以降の同月どうしの比較で行いました(例:2018年7月なら2003〜2017年の各7月との比較)。同月比で過去最多を更新した発表は黎明期21/22回・ブーム期49/55回・復活期24/28回です。
- 月次相関(図4)は、日次の対TOPIX騰落とドル円変化率をそれぞれ月ごとに合算し、その月に発表された訪日客数の前年同月比と突き合わせたものです。前年同月比は分母を12カ月共有するため隣り合う月の値が似る性質があり、相関はやや高めに出ることがあります。有意性の主張ではなく向きの目安として読んでください。
- 本記事は#16「百貨店=インバウンド銘柄」は本当か?(売上側の検証)の続編です。売上の構成・免税の中身は#16をご覧ください。
- 出典:Yahoo!ファイナンス(個別株の時系列)、stooq(TOPIX・ドル円)、日本政府観光局(JNTO)訪日外客統計および報道発表資料。集計・図版はすべて私が作成しました。















コメントを残す